京アニ回顧
初めに、今回の事件で亡くなられた35名の方々に対して、哀悼の意を表します。
また負傷された34名の方々は現在も治療中であると思われます。
一刻も早い回復をお祈りしております。
今回の京都アニメーション第1スタジオの放火事件について、自分の中で整理するために記事を書くことにしました。
今身近(リアル)でこの話題を共有できる人がいないので。
オタクと一般人の捉え方
京都アニメーションがどういう会社なのかは、アニオタならば知らないはずはありません。
大部分のアニオタにとって、特別なアニメ制作会社であることは想像に難くありません。
少なくとも私はそうです。
だからこそ、アニオタは今回の事件について一種の特殊性を感じてしまいます。
そして、アニメを普段見ない方にとっても、アニメ制作会社で起きた事件ということでフィルターをかけてしまうでしょう。
ここで忘れてはいけないのは、1人の人間に起因して34名もの人が命を落とす事件というのは、いかなる場合でも極めて異常であるということです。
ツイッター上で「いかに京アニがすごい会社なのか」を知ってもらおうとするツイートなど見かけましたが、私は的外れだなと感じていました。
その気持ちはわからないでもありませんが、結局「いかに京アニがすごい会社なのか」は普段からアニメを見ない人にとってはどうでもいいのです。
こういう時にこそ、アニオタは自身の立場を客観視して、今回の事件を静観するべきだと思います。
私たちが京アニについて熱を帯びて語るほど、一般人は離れていきます。
残念ながらそういうものだと思います。
私たちが京アニのすごさについて語るまでもなく、酷く凄惨な事件だということです。
当たり前の話ですが、犠牲者35名という数字はただの数字ではありません。
その1つ1つには、人生があり、生活があって、家族がいます。
まずはアニオタがこのことを、深く、認識しなければいけないのではないでしょうか。
京アニを想う
私はらきすたを見て以来、アニメが好きになり、その次に見たのがハルヒでした。
それから気付けばもう12年が経ちました。
その間、たくさんの作品に触れて、色んな感情を知って、物語の面白さに感動して、今の自分があるのだと思います。
正直にいうと、私は今では「京アニの作品だから」という理由でアニメを見ることはなくなってしまいました。
でも毎クール、新しいアニメが始まる時期になると、タイトルだけでも新作はチェックしてたんですよね。
今回の事件を受けて、私は当たり前のように新作を作ってくれる京アニに安心感を抱いていたことに気付きました。
感覚としては、昔好きだったアーティストが新曲を出し続けてるような感じです。
いくら認識が希薄になっても、心の中ではずっと応援して、励みになっていたんです。
今回の事件を知った時、悲しくて、悲しくて、仕様がありませんでした。
おそらく被害者の中には、私と同じようにハルヒやらきすたを見て育った同世代の方がいただろうと思うと、可哀想で、痛ましく、事件の模様を見るのもつらいです。
想像するに、今回の事件で助かった方々は、亡くなった方の不在を最も強く感じてしまうでしょう。
生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)を感じてしまう人もいると思います。
もう描きたくないと思っても仕様がないと思います。火傷の後遺症もあるでしょう。
そんな方々に「また頑張ってください」とは私は言えません。
うん。言えない。どうも無責任に感じてしまいます。
とにかく今は祈るしかないのかな。
これ以上犠牲者が増えないこと。
治療されてる方が一刻も早く回復して日常生活に復帰すること。
どうか、負けないでください。
最後になりますが、今の私を構成する上で多大なる影響を与えてくれた、京都アニメーション制作陣の方々に改めて深く感謝します。
あと一曲送らせてください。
以上になります。R.I.P.